ジョルジオ・アルマーニ 更なる挑戦~アメリカでの成功~

1975年7月にアルマーニはセルジオ・ガレッティと共にミラノでアルマーニ社を創業する。そして、コレクションが発表されるたびに人気を博し、喝采を浴び注目を集めた。このアルマーニの名声を聞きつけたアメリカの高級百貨店「バーニーズ・ニューヨーク」がいちはやくアメリカ国内で販売し急成長を遂げる。イタリアのアパレルメーカーのGFT社との業務提携で更なる活路を見出して他のブランドに大きく水をあけることとなる。

 

 1979年に入ると他のイタリアのデザイナーも注目を浴びるようになり「メイド・イン・イタリー」が世界を席巻し始める。この年からはハリウッドセレブ達らもアルマーニのジャケットを身につけ舞台に上がるようになる。この年にはアメリカのニューマン・マーカス賞を受賞した。

 

 1980年にはリチャード・ギア主演の映画『アメリカン・ジゴロ』の衣装として採用され映画は大ヒットとなり社会現象までになる。このヒットは各方面にも多大な影響を与えハリウッドセレブ達もこぞって顧客に名を連ねる。ダイアナ・ロス、ダスティン・ホフマン、ドナ・サマーらである。また、アメリカの高級百貨店「サックス・フィフス・アヴェニュー」からの依頼でアメリカで初のファッションショーも実現し反響を呼ぶ事となりアメリカのメディアにも特集を組まれるまでになったのである。

 

 80年代に入ると時代そのものが華やかな時代となり社会は幸福そのものであった。各地で豪華なファッションショーも開催された。イタリアの他の一流ブランドも自己主張を強めイタリアのイメージを一新させた。現在のファッションもこの80年代が原型になっているといっても過言でない。

 

 1981年にはドゥリーニ通りにあるオフィスの向かいに新たなショップをオープンさせた。デニム生地をメインにしたカジュアルスタイルの若い層をターゲットにした「エンポリオ・アルマーニ」である。メンズからスタートしたがレディースも手がけるようになる。そして、あの有名な鷲が羽ばたくイメージのゴロマークも出来上がった。「エンポリオ・アルマーニ」はロゴマーク同様に大きく羽ばたき成長していった。同じくこの年には「アルマーニ・ジーンズ」と「アルマーニ・ジュニア」も発表された。イタリアと次いでアメリカにもショップがオープンしますますアルマーニの人気が高まった。

 

 この1981年にはベストデザイナーに贈られる「メンズ・スタイル・アワード」と世界のメンズファッションのトップデザイナーに贈られる「カティ・サーク・アワード」も受賞する。

 

 1982年にはアルマーニの妹ロザンナがアルマーニ社に加わった。主に広告キャンペーンなど担当し重要な存在となる。また、3月に発表されるレディースコレクションはバイヤーのみに公開することを発表しメディアから反発とバッシングを浴びる事となる。しかし、その一方でファッション誌ではなく、あのニュース雑誌「タイム」誌の取材に応じ表紙を飾ることになり8ページにも及ぶ特集記事が組まれた。まさに世界最高のデザイナーと評されたのである。これには他の雑誌からの怒りをかってしまった。この「タイム」誌の表紙を飾ったイタリア人はほんの数人しかいない。しかもファッションデザイナーのみに限ってはクリスチャン・ディオールについで二人目であり30年ぶりの快挙であった。 名実共に「モード界の帝王」となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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