ジョルジオ・アルマーニ 誕生から少年時代

「モードの帝王」と呼ばれており、今なお世界のファッションをリードし人々を魅了するデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ。

 

 そのジョルジオ・アルマーニが生まれたのは1934年(昭和9年)7月11日 午前7時20分のこと。新月の日だったようです。現在86歳を目前にしています。

 

 父親ウ-ゴ・アルマーニと母親マリア・ライモンディの次男として誕生しました。
父親のウーゴはファシスト連盟の事務の仕事をし、母親は社会活動に積極的に参加していたようです。

 

 兄にセルジオ1929年(昭和4年)6月29日生まれ、妹のロザンナ1939年(昭和14年)6月27日生まれの3人兄妹で、兄妹仲はとても良好のようで3人で過ごす事も多かったようです。

 

 ジョルジオが生まれた翌年にイタリアはエチオピアを侵攻しドイツ・ナチス政権とともに第2次世界大戦に突入する過酷な時代でした。

 

 両親はともに演劇が好きで子供たちを舞台によく連れて行ったようでジョルジオが多少なりとも影響を受けたことは間違いないようです。

 

 ジョルジオは幼い頃から鋭い美的感覚を持っており、そのエピソードとして父親方の祖父は市民劇場で19世紀風のかつらを作る職人だったが、祖父が作るかつらは醜くニセモノに見えショックを受けたと回想しています。

 

 少年時代のアルマーニにとって映画は楽しみのひとつでもあり豊かなイメージを育む手段でもあったようです。

 

戦争中の疎開先で映画を観ていると空襲警報がなって上映が中断になり防空壕に逃げ込んだエピソードもあるり、ピアチェンチァの街は空爆の重要な攻撃目標であったので数々の空爆で街は破壊されつくしました。

 

 ジョルジオが10歳ごろ悲惨な体験もしている。空襲警報が解除され妹ロザンナと防空壕からの帰り道に友達に呼び止められて火薬で爆竹のようなものを作って遊んでいた時に爆発が起こりジョルジオを大火傷をおってしまい一緒にいたいた友達が亡くなる大惨事があった。

 

 戦後、父親ウーゴ・アルマーニはファシストの活動を行っていた事から懲役刑を受けていたが1940年代終わりごろにミラノに移り家族で過ごすようになる。しかし、当時のミラノは富裕層、中間層、貧困層の地区に分かれており貧困層の地区で過ごしていた。そのミラノで日曜日には友人と過ごしたり公園にいったりして思春期を過ごした。また、当時からジョルジオは手先の器用なこどもであったらしい。

 

 高校の頃になると他のクラスメートとは違う存在感を放っていたと友人が証言している。また、その頃になると行きつけのテーラーがありお洒落な一面もあったという。当然、女の子たちからも人気があり彼女たちに髪型や服装などにも助言を当時からしていたらしい。

 

こうしてジョルジオは立派な青年へと成長していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

ページの先頭へ戻る